1957
昭和32年
荻野鉄工所創立
それから8年をかけて東洋工業(以下、マツダ)が生産累計20万台を達成した1957年(昭和32年)、38歳の荻野六三之(おぎの・むさし)が広島市矢賀新町に荻野鉄工所を興しました。三菱広島精機製作所などの協力工場として事業を開始したのです。
もともと六三之は祖母の実家がやっていた荻野鉄工で仕事をしていました。荻野鉄工は海軍の指定工場になっており、広島では知らない人がいないほどの会社でした。六三之はここで24年間働き、3人の伯父である荻野義人(よしと)・四月(よつき)・功(いさお)から人としてのあるべき姿と技術を学びました。その教えを胸に刻んで始めたのが荻野鉄工所つまり現在の荻野工業です。