OGINO HISTORY

OGINOの歩み

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原爆ドーム

1945年(昭和20年)、長い苦難の末に終戦を迎えた太平洋戦争。
OGINOの地元である広島は特に人類史上初の原子爆弾が投下され、被害は甚大でした。

当時、乗用車の生産は戦時中から厳しい制限を受けていました。それは限られた資源や生産設備を軍需用トラックの生産に充てるためでした。
戦争が終わってようやく復興への道を歩み始めるはずでしたが、自動車産業発展のスタートは遅れました。ポツダム宣言の執行を目的に日本がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の管理下に入ったためです。占領下の日本は戦後賠償に充てるため、生産設備の民需への転用が厳しく制限されました。

GHQから乗用車の生産が許されたのは1949年(昭和24年)。ここが戦後の自動車産業にとって発展の源流です。

1957

昭和32年

荻野鉄工所創立

それから8年をかけて東洋工業(以下、マツダ)が生産累計20万台を達成した1957年(昭和32年)、38歳の荻野六三之(おぎの・むさし)が広島市矢賀新町に荻野鉄工所を興しました。三菱広島精機製作所などの協力工場として事業を開始したのです。
もともと六三之は祖母の実家がやっていた荻野鉄工で仕事をしていました。荻野鉄工は海軍の指定工場になっており、広島では知らない人がいないほどの会社でした。六三之はここで24年間働き、3人の伯父である荻野義人(よしと)・四月(よつき)・功(いさお)から人としてのあるべき姿と技術を学びました。その教えを胸に刻んで始めたのが荻野鉄工所つまり現在の荻野工業です。

若き日の六三之(創業当時)
若き日の六三之(創業当時)
創業者・荻野六三之
創業者・荻野六三之

1959

昭和34年

東洋工業㈱の協力工場として、
自動車部品の加工を始める

マツダが順調に生産を伸ばし始めたのと同時期に協力会社になったのは1959年(昭和34年)。これは一大転機になりました。六三之が自らマツダの役員に直談判するなどの奔走が実り、事業は徐々に軌道に乗りました。

活躍中の社有車(昭和30年代)
活躍中の社有車(昭和30年代)

1961

昭和36年

荻野工業㈱として法人を設立
(資本金100万円)

1961年(昭和36年)には会社名を現在の荻野工業に改め、ものづくりへの誠実な姿勢で徐々に信頼を勝ち取っていきました。

1969

昭和44年

現在の本社工場を熊野町に新築、
生産力を強化

熊野町平谷に2万㎡の土地を購入し、2,600㎡の新工場(現在の本社工場)を新築。これは新興の熊野団地に雇用をもたらして地域に大きく貢献し、熊野町の発展とともに荻野工業も成長しました。

初期の本社工場(熊野町)
初期の本社工場(熊野町)

1973

昭和48年

マツダ(株)より
品質保証認定会社に認定される

1989

平成元年

3万4000㎡の土地に
呉工場を建設、
さらに生産力を強化

さらに生産体制の強化を図ったのは1989年(平成元年)。これも六三之の大英断でした。呉市郷原町の桑畑工業団地に3万4000㎡の土地を購入し、9200㎡の工場を新築。呉工場はその後主力工場に成長し、現在に至っています。ほか、冷間鍛造(400t)を導入。

呉工場新築落成披露(1989年)
呉工場新築落成披露(1989年)

1990

平成2年

熱処理設備(浸炭炉2基)を導入

1992

平成4年

真空炉(IHI)導入

1994

平成6年

マツダ(株)より
品質保証優良認定会社に認定される

1995

平成7年

荻野武男が
第2代社長に就任、
海外戦略がはじまる

1995年(平成7年)、六三之の跡を継いで長男の荻野武男(おぎの・たけお)が2代目社長に就任します。武男は23歳で入社し、専務を務めていた叔父・荻野宣長(おぎの・のりなが)らから設備や切削工具の技術を学びました。それに加えて調達・品質保証・管理・購買などのノウハウも独学で身につけた努力の人です。
44歳という若さで社長になった武男は早速手腕を発揮。アメーバ経営の導入、QS9000やISO14001認証の取得などによって企業基盤の強化に取り組みました。

第2代社長・荻野武男
第2代社長・荻野武男

1998

平成10年

アメーバ経営を導入

1999

平成11年

QS9000認証を取得

2000

平成12年

フィリピンに初の現地法人
OGINO PHILIPPINES CORPORATIONが操業を開始

2000年代に入ってからフィリピン、ベトナムに相次いで生産拠点を立ち上げたのは、武男の攻めの経営のなせる業です。バブル崩壊、リーマンショック、度重なる豪雨災害など幾多の苦難はありましたが、国内の強化に加えて海外進出によって顧客の幅を広げ、さらに評価を高めたのです。

2002

平成14年

自家発電稼働開始、
ISO14001認証を取得

2003

平成15年

熱処理設備導入(浸炭炉3基目)

2005

平成17年

呉工場敷地内に第3工場が完成、
熱処理設備導入(浸炭炉4基目)

2008

平成20年

創立50周年へ、
ベトナムに初の現地法人が誕生

ベトナムに初の現地法人OGINO VIETNAM CORPORATIONが操業を開始。
創立50周年記念式典を挙行(ホテルグランヴィア広島にて)。

建設中のベトナム工場(2007年)
建設中のベトナム工場(2007年)
創業50周年記念式典(2008年)
創業50周年記念式典(2008年)

2009

平成21年

ISO/TS16949認証を取得

2013

平成25年

呉工場で太陽光発電を開始

2014

平成26年

(株)広島機工を買収、
精密特殊切削工具の設計・製造・販売を開始、
熱処理設備導入(浸炭炉5基目)

2015

平成27年

OGINO VIETNAM CORPORATION(OVC)の
新工場がベトナム(バクニン省)で操業を開始、
呉工場と同じ桑畑工業団地内に第4工場が完成、
OGINO VIETNAM CORPORATION(OVC)がISO9001認証を取得

2017

平成29年

創立60周年記念式典を挙行
(グランドプリンスホテル広島にて)

創業60周年記念式典での第2代社長・荻野武男の演説の様子(前アングル)
創業60周年記念式典での第2代社長・荻野武男の演説の様子(後ろアングル)

2018

平成30年

ベトナムや呉工場、
東広島工場など
続々と新工場が誕生

ベトナムの現地法人OGINO VIETNAM TU SON COMPANY LIMITED(OVT)が操業を開始。
呉工場と同じ桑畑工業団地内に第5工場が完成。
最新鋭の東広島工場(東広島市中核工業団地)が完成。

OVT事務所
OVT事務所
2018年に完成した工場の内観
東広島工場

2021

令和3年

2021年(令和3年)、古希を迎えた武男の跡を継いで、
佐々木裕孝(ささき・ひろたか)が3代目社長に就任

古希を迎えた武男の跡を継いで、佐々木裕孝(ささき・ひろたか)が3代目社長に就任しました。

第3代社長・佐々木裕孝
第3代社長・佐々木裕孝

長い歴史を誇る荻野工業ですが、
すべての根底にあるものは社訓としている「至誠一貫」。
ものづくりに対する嘘のない誠実な姿勢です。
その企業風土は一朝一夕でできあがったものではなく、
荻野六三之の創業の精神が長い年月をかけて
社員の手でじっくり醸成されたものです。
時代が移り人は変われど、これからも変わらずに受け継がれるでしょう。

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